一を聞いて十を知る
「一を聞いて十を知る」これをできる人とできない人との違いってなんでしょう。
これは俳句を理解できるかできないかの違いにとても似ている気がすると思いました。
例えば、松尾芭蕉の句
「しばらくは 花の上なる 月夜かな」
17文字という短い言葉で、一の理解になるか、十を理解できるか、大きな差が出てくる。
文字だけで理解しようとすると、
お花畑の上に見える月をしばらく夜に眺めている
みたいな解釈になってしまうかも知れない。
言葉には意味というものがある。
例えば季語
この場合は「花」で、春の季語です。
そしてその花は、桜を意味します。
この知識があるだけで情景がガラリと変わる。
咲き誇る桜の上で美しい月があたりを照らしている。
それが互いに月と桜の美しさをより一層引き出している。
「しばらくは」の言葉には、その幻想的な光景は永遠ではなく儚く消えてしまう。いつまでもこの美しさを眺めていたい、と言う気持ちが含まれている。
急に深い話に変わる。
「一を聞いて十を知る」ことになる。
つまり、言葉の意味を理解できているかどうかで差が出てくる。
多くの場合は、「言葉」を知っているだけで、「意味」を理解できていない可能性がある。
仕事や日々の生活の中で、なんで言っていることが伝わらないんだろうとか、なんで変なことを言うんだろうみたいな、そんな悪気なく起こる現象は、言葉の意味を知らないからかも知れない。
「一を聞いて十を知る」には知識と想像力が必要で、その物が持つ「意味」を知っているかどうかがポイントとなる。
仕事の中では、「慣れる」と、一を聞いて十を知るができるようになる、という言い方をするかも知れませんが、「慣れる」と言うことは「知識が増える」と言うことですから、
「その物の持つ意味」にフォーカスして、仕事を覚える、または指導すると早いのかも知れない。
仕事だけではなく日々の中でもそう。
簡単ではないですが・・・

ヨガも同じ
「一を聞いて十を知る」を繰り返すことでサマディ(悟り)の世界に近づいていきます。
コメント